©an't let go〜お豆腐メンタルの不定期日記〜

都市計画や地理、プラグマティズム、死生学に興味がある大学生。そんな一般人が大学生的なフリースタイルでみんなに送る意見を述べるページ。 ※あくまでも個人の意見です。

高校教師って人間ですか?

新年あけましておめでとうございます。

ちょっと遅いですが、

入院してたので、

遅くなりました。

 

今回は、

あるドラマについて

書こうかなと思います。。。

 

実は、今年に入って、

Huluに登録してみました。

そのため、あるドラマを

久しぶりに見返しました。

 

言っちゃいましょう。

そのドラマは...

「高校教師」

です。

 

世代だった方も

いらっしゃるのではないでしょうか。

もちろん、藤木直人さんの方ではなく、

真田広之さんの方です。

 

あの時代の社会問題でもあった

生徒と教師の恋愛・同性愛・強姦・近親相姦などに

真っ向から直面したドラマでした。

 

今の世代の方はもう高校教師という名前すら知らないだろうと思います。

しかし、今、教師を目指しているものや、教育について学びたい人におすすめしたいです。

 

しっかり教育を学べるドラマではありませんが、ヒドゥン・カリキュラムとでも言うべきか、隠された色々な高校という特別な環境で起きる数々の試練と苦悩を一人ひとりの目線で考えて欲しいドラマです。

 

そもそも、

教師と生徒の恋愛は悪いことなのか。

本気で好きになった教師と生徒の間には

なにがあるのか。

 

ネタバレにもなってしまいますが、

有名なシーンなので言っておきます。

主人公の羽村は、

生徒であった二宮の父を殺した後、

(※厳密には間接的に殺した)

考えた末、田舎へ帰ることにします。

本当は、二宮と一緒に田舎で暮らすことを

約束していましたが、

一人で田舎へ行こうとします。

 

結果、途中で、二宮が電車に現れます。

その後、二人で少し楽しい時間を過ごし、

電車の中で、静かに眠りにつきます。

 

この解釈については、

数々の説がありますが、

今回、重要視したいのは、

「教師と生徒の恋愛について」

です。

 

高校教師は、

高校という仕事場では

恋愛をしてはならないのか。

そもそも、生徒という教え子を

恋愛対象にみてもよいのか。

 

京本政樹さん演じる藤村は

過去の恋愛のトラウマで

生徒をレイプする教師を演じる。

彼をとりまく環境の変化もみてほしい。

 

話をちゃんと戻すと、

教師と生徒の恋愛というのは、

今までもこれからも

普遍的に続くことだと思う。

 

その中でしっかりわかってほしいのが、

生徒の気持ちは純粋であるということ。

そのため、教師はその気持ちを弄ぶのはよろしくない。

それで、生徒の気持ちを傷つけるのは良くないのである。

それが事件に発展することもある。

 

教師と生徒の間の恋愛においては、

人一倍、純粋な気持ちでいることが重要であると思われる。

 

教師は、教師としてのプロフェッショナルである前に、人間であるということである。

 

最後に真田広之さんのナレーションの最後の言葉を引用したい。

僕は、今、本当の自分が何なんのか、わかったような気がする。
いや、僕だけじゃなく、人は、皆、恐怖も怒りも、悲しみもない。
まして、名誉や、地位や、すべての有形無形のものへの執着もない。
ただそこにたった一人からの永遠に愛し、愛されることへの息吹を感じていたい。

そう、ただそれだけの無邪気な子供にすぎなかったんだと。

このナレーションをドラマで聞くから

深く考えさせられる。

本当の愛を知った人間は、

確かにもろく弱いものだと理解出来るのかもしれない。

その完全でないところを

誰かを愛し、誰かからの愛される、

その気持ちで埋めるのかもしれない。

 

私は、ずっと、

羽村に置いて行かれた二宮が

電車の時間に間に合い

電車に乗って羽村に会った

という解釈をする。

 

確かに、死んでしまうのは

バッドエンドかもしれない。

しかし、二人がやっと愛し愛され、

楽しい時間を過ごせたのは、

ハッピーエンドであったと思う。

 

もちろん、僕は、

森田童子さんの曲は、

たまに聴くほど好きである。

 

追記になるが、2003年にも高校教師の続編ドラマが藤木直人さんを主演にドラマになっている。

こちらは、真実と嘘という2つをテーマとしているように思える。1993年に比べ、柔らかめに教師と生徒の恋愛、そして死に迫ったドラマになっている。